統治すれども親裁せず

統治すれども親裁せず

現在、参議院選挙の真っ只中にあります。

しかし、候補者たちの政見放送や街頭演説、SNSなどを通じてその主張に耳を傾けても、皇室や憲法といった国家の根本に正面から向き合い、堂々と正論を述べている候補者はほとんど見受けられません。

国家の成り立ちに対して真正面から言及している政党は、私の知る限り、「日本誠真会」だけではないかと考えます。

とりわけ問題なのは、天皇のご存在に関して、いまだに「君臨すれども統治せず」が我が国の原則であると誤認している人々が少なくないことです。

これは、英国の歴史事情に由来する制度を、わが国にそのまま当てはめた誤った見解であり、我が国の歴史的・憲法的伝統とは全く異なるものです。

「君臨すれども統治せず」という原則は、18世紀初頭の英国において確立されたものです。

当時、王位継承の問題から、ドイツのハノーヴァー家出身のジョージ一世が国王に迎えられましたが、彼は英語が話せず、議会での発言も理解できなかったため、次第に政治から距離を置き、国王は政治に関与しない象徴的存在となっていきました。

こうして英国では、いわゆる「傀儡王政」の形式が定着していったのです。

しかしながら、我が国の伝統はこれとは異なります。

大日本帝國憲法第4条には「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬ス」と明記されており、第55条には「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼ス」とあります。

これにより、天皇は統治権の総覧者でありつつも、政治の各事項を一つひとつ親ら裁可されるのではなく、大臣の輔弼を通じて政務を統べられるという立憲的原則が確立されました。

すなわち、天皇は君臨されると同時に統治されるが、特段の事情がない限り、個々の政務について親裁されないという「統治すれども親裁せず」の原則が、日本の立憲君主制の根幹にあるのです。

この原則のもと、天皇は憲法上、拒否権を有しつつも、内閣の政務に対しては抑制的に接し、万一の非常事態にあっては親裁(親政)をもって国家の危機に臨まれるという構造が、帝國憲法体制の本質でした。

この「統治すれども親裁せず」という憲法原理が、実際に歴史上具体的に現れた場面が2つあります。

いずれにも関わったのが、鈴木貫太郎という人物でした。

一つは昭和11年の二・二六事件で、昭和天皇がみずからの強いご意志によって反乱軍の鎮圧を命じられたこと、すなわち親裁が行われたことは史実として明確に記されています。

そしてもう一つは、昭和20年の終戦に際しての御聖断です。

戦局が絶望的となるなか、ポツダム宣言受諾という国家の命運を左右する決断が迫られた時、最終的に天皇のご親裁によって、戦争終結が導かれました。

この終戦決断に際し、当時の首相であった鈴木貫太郎は極めて巧妙な法的構成をもって臨みました。

彼は、天皇が統帥大権の帰属者たる「大元帥」としての地位と、国家統治の元首たる「天皇」としての地位を峻別し、『大元帥』は制度上、天皇が兼任するにすぎず、その意味では天皇の「家臣」に近いものと捉えたのです。

この立場をもって、6月8日の御前会議で決定された「聖戦完遂」と、講和大権にもとづくポツダム宣言の受諾の両者は矛盾しないと結論づけ、昭和天皇のご親裁を仰いで、ついに受諾の決断に至りました。

これがいわゆる「鈴木マジック」と呼ばれる歴史的判断です。

この決断によって、我が国は原子爆弾のさらなる投下や国家の壊滅という未曾有の悲劇を免れることができたのです。

鈴木貫太郎の功績は、単に一政治家としてのそれにとどまらず、立憲君主制を理解し、天皇親裁の本質を尊重した統治哲学の体現であったと評価すべきでしょう。

今般の選挙にあたって、我々国民一人ひとりが、このような歴史と制度の本質を知り、真に日本という国家の根幹を成す「国体」に思いを致すことが求められています。

政策や利害の選択を超えたところにある「国のかたち」を見つめ直す機会とすべきではないでしょうか。

皇室のご存在とは何か、憲法とは何か、その根本に立ち返ることこそ、日本国民としての真の責任であると考えます。