問われる、財政を理解する力

問われる、財政を理解する力

きのう、第27回参議院議員選挙が公示されました。

統一地方選挙とは異なり、参院選では候補者の数が都道府県ごとに限られているため(全国比例区もありますが)、街なかで選挙カーを見かけたり、候補者の演説に偶然出会ったりする機会は決して多くありません。

したがって、有権者は選挙公報やインターネットなどを活用して、候補者や政党の政策を自ら調べ、さらにその内容を自分自身で分析する努力を惜しまなければ、主体的かつ懸命な意思表示を行うことは難しいでしょう。

「なんとなく最近この党の人気が上がっているようだから、今回はここに投票してみよう」といった表層的な判断では、小泉内閣時代の“郵政民営化選挙”で熱狂的な雰囲気に流された当時の有権者と大差ありません。

さて、いま最も喫緊の課題は、やはり経済政策です。

現時点で、自民党は「全国民に2万円を給付する」としています。

一方で、野党側は「消費税の減税」を訴えており、有権者にはこのいずれかを選ぶ局面が訪れています。

ただし、立憲民主党や日本維新の会が主張する「食料品の消費税率を一時的にゼロ%にする」という案については、以前から申し上げているとおり、最も悪手と言わざるを得ません。

ところで、消費税の減税や廃止に対して、必ずといってよいほど出てくる反論があります。

それは「消費税を減税したら、財源はどうするのか?」「消費税がなくなったら、社会保障費はどうやって賄うのか?」といった問いかけです。

しかしながら、こうした批判には根本的な誤解があります。

なぜなら、政府の支出は、国民から徴収した税金を原資として行われているわけではないからです。

よく考えてみてください。

税収が確定するのは年度末ですが、政府の支出は年度の初めからすでに始まっています。

これは、物理的なタイミングの上からも、税収を“元手”に支出しているわけではないことを示しています。

実際には、政府は国債を発行することによって財政支出を行い、それによって貨幣を国民経済に供給し、のちに税金という形で一部を回収しているのです。

つまり、減税とは「その回収を一部やめること」にすぎません。

そして、政府が回収する貨幣量を減らせば、その分だけ国民の手元に貨幣が残り、個人消費や民間投資といった需要が喚起されます。

その経済効果は、自民党が打ち出す2万円の給付よりもはるかに大きい。

加えて、消費税が減税されれば、物価は確実に下がります。

物価の低下は、実質賃金の上昇をもたらし、いまのような物価高騰による実質的な生活の圧迫を相殺することにもつながります。

現在、消費税(税率10%)によって政府が国民経済から吸い上げている貨幣は、輸出還付金を含めておよそ33兆円に上ります。

したがって、仮にこの税率をゼロにすれば、33兆円が国民のもとに残ることになります。

これは日本のGDPの約6%に相当する額であり、経済成長に大きく寄与することは間違いありません。

実際、コロナ禍の際、政府はおよそ12兆円の国債を発行して「特別定額給付金」(一人あたり10万円)を実施しました。

その結果、国民の銀行預金残高は増加しましたが、政府の財政に何らかの重大な支障が生じたでしょうか?

まったく問題は起きていません。

むしろ、政府自身が「今でも全国民に2万円を給付できる」と明言しているのですから、それ以上の財政支出も十分に可能なはずです。

結局のところ、「減税に必要な財源がない」と主張する候補者は、財政運営の基本を理解していないか、あるいは理解していながら説明を避けているかのいずれかです。

有権者として、その見識の有無を見極める目が、今回の選挙では問われているのです。