ミッドウェー海戦こそ、大戦の分水嶺

ミッドウェー海戦こそ、大戦の分水嶺

78年前の今日、わが国の命運を決定づけることになる海戦がはじまりました。

ミッドウェー海戦です。

その約1か月半前の4月18日、日米開戦後はじめて本土空襲を受けてしまった日本は、急ぎミッドウェー島の攻略を計画し遂行することになりました。

本土を攻撃した爆撃機は、ミッドウェー島を出港した空母機動部隊から発艦したものだったからです。

ここを叩かなければ、常に日本本土が爆撃の危機にさらされることになります。

また、連合艦隊司令長官の山本五十六は、ミッドウェーを攻撃することにより必ず現れるであろう敵空母機動部隊を何としても殲滅したいとも考えていました。

当時すでに大艦巨砲主義は終わりを告げ、空母機動部隊による航空攻撃が戦争を決定する時代に入っていました。

なにより、山本五十六自身がそのように言っています。

ゆえにミッドウェー島攻略作戦は帝國海軍連合艦隊の総力を上げて決行されました。

ハーマン・ウォークという米国の大作家は「ミッドウェーの海戦こそが、あの戦争(日米戦争)の分水嶺だった」と評しています。

にもかかわらず、その戦いぶりは実に杜撰なものとなりました。

海戦の結果は周知のとおりの大敗北でした。

歴史に「If」は禁物と言いますが、「If」がなければ洞察できないのも事実です。

もしもあの時、現地司令官が南雲忠一でなく山口多聞であったなら…

もしもあの時、山本五十六が現場にいたなら…

もしもあの時、戦艦大和が空母機動部隊とともに航行していたなら…

などなど、このように考えると、感慨深いものがあります。

私は「なぜ負けたのか」を考えることこそ歴史の反省だと思っています。

詳しくは、明日のブログで…