きょう5月9日は、ロシアにとっては、第2次世界大戦でナチス・ドイツに勝利したことを祝う「戦勝記念日」です。
首都モスクワでは式典が催される予定ですが、報道によれば式典には中国など20か国以上の首脳が出席するらしい。
プーチン大統領としては、ウクライナとの戦争を続けている中にあっても「(世界よ)ロシアは孤立していないぞ」とアピールできる絶好の機会となります。
既存メディアが垂れ流す偏向報道を鵜呑みにしている人たちは、現在のロシア・ウクライナ戦争を「悪人プーチンが率いるロシアの侵略から、善人ゼレンスキーが率いるウクライナが必死で防衛している戦争である」というように理解しているのでしょうが、私はまったく違います。
人類の歴史とは、ほぼ戦争の歴史と言っても過言ではありませんが、指導者個人の悪意が火種となってはじまった戦争はほとんどありません。
例えば、豊臣秀吉の唐入り(朝鮮出兵)だって、秀吉の個人的野心からはじまった戦争ではなく、スペイン・ポルトガルによる覇権拡張から日本を守るために、秀吉としてはどうしてもはじめざるを得なかった戦争です。
ただ、もしも織田信長であったなら、秀吉のように朝鮮出兵という手段は採らず、最初からフィリピン沖あたりでスペイン艦隊との海戦に臨んでいたかもしれない。
いずれにしても大東亜戦争のはじまりですが、20世紀の大東亜戦争においても、大陸に固執し過ぎた日本軍は力を消耗するばかりで何の利益も得られず、ついには海でも米国に負けてしまいました。
信長だったら、港(貿易)の権益だけを抑えて大陸には手をつけず、海洋国家としての利点を活かして海戦に集中したはずです。
覇権国家が領土領海や文化宗教を拡張しようとするのも、その覇権から国を守ろうとするのも、いずれも地政経済学がもたらす所以であって指導者の個人的悪意がもたらす所以ではないと思います。
大国であれ、小国であれ、いずれの国にも必ず弱み(脆弱な部分)があり、その弱さを克服しようとする過程で戦争が勃発するケースがほとんどです。
考えてみれば大東亜戦争もそうです。
もともと米国には「強力な海軍によって海洋を支配しなければ国の安全を保つことができない」という建国以来の恐怖心があります。
一方、日本には「近代国家を運営するためには、どうしても外国の資源に頼らざるを得ない」という恐怖心が常にありました。
つまり、大東亜戦争の勃発要因を地政経済学的にみた場合、「このままだと、日本によって西太平洋から追い出されるかもしれない」と恐れた米国と、「西太平洋から米国を追い出さなければ資源を確保することができなくなってしまう」と恐れた日本との衝突だったわけです。
このように戦争のほとんどは、恐怖心と恐怖心の衝突なのでございます。
ロシアにとって最大の弱みは、国境が大国と平野で繋がっていることにあります。
平野というのは攻撃側には有利でも、防衛側には極めて不利な地形です。
だからこそ、領土を拡張するか、緩衝地帯を拡大するかのどちらかが必要になるわけです。
かのエカチェリーナ2世も、「国境を守る術はない。それを広げる以外には…」と言っています。
例えば、ドイツという大国が緩衝地帯である東欧を支配することになれば、まさにロシアにとって死活問題です。
ゆえにロシア(プーチン大統領)としては、ドイツを含むNATOが東欧ウクライナを飲み込むことに強く抵抗せざるを得ない。
ウクライナを緩衝地帯のままにしておけば、ロシアがウクライナに侵攻した可能性は低かったはずで、ウクライナのNATO入をそそのかしたのは米国の民主党政権だったと拝察します。
何のために。
むろん、プーチン・ロシアに最初の一発を打たせるために。
日本に最初の一発を打たせるために石油を止めたのと同じ手法です。