<昨日のブログのつづき…>
秘密交渉がはじまって10分後、吉田らにGHQ草案を渡したホイットニーは部下たちとともに部屋を出て庭に移動しました。
庭に出て15分ほどが経つと、そこに白洲次郎が来ます。
そのときちょうど偶然にも、外相公邸の上空を米軍の航空機が爆音をたてて飛んでいきました。
空を見上げつつホイットニーは物静かにポツリとつぶやきます。
「我々はこの庭で原子力の光で暖をとってくつろいでいるのだよ」と。
ここでホイットニーが日光浴のことを、あえて「Atomic Energy」という言葉で表現したのは、むろん「お前たち、広島と長崎を忘れるなよ」という脅しです。
戦後、マッカーサーを怒鳴りつけたなどの武勇伝で知られる白洲だが、ラウエルの記録によれば、このときの白洲にそのような威勢のいい姿はない。
ただ何も言えず、静かに元の部屋に戻っていったようです。
10時40分、吉田たちがGHQ草案を読み討議を終えた様子だったので、ホイットニーたちも再び部屋に戻り席に着きました。
今度は開口一番、松本が語りかけます。
「草案の内容は理解しましたが、自分が示した案とは全く違うため、幣原総理にこのGHQ草案をみせた後でないと何も発言できません」
このときも、吉田茂の表情は真っ暗で険しかったという。
よほどの役者さんですね。
白洲は、ただただ鉛筆でメモを書き留めているだけで、会談を通して二言三言、他愛のない言葉しか発しませんでした。
この会談では、唯一憲法学者であった松本烝治だけが「なんとか明治憲法のかたちを引き継いだ憲法を制定させて頂けないか」とGHQの将校相手に徹底抗戦していました。
そんな松本に対し、ホイットニーが強い口調で次のように畳みかけます。
「このGHQ草案に基づいて憲法改正を確実に行うことが元帥の希望であり、決意である」と再度念押しした上で、「天皇を戦犯として軍事裁判にかけよ、という他国からの圧力は高まっている。あなたがたがご存知かどうかはわからないが、元帥はこれまで天皇を養護してきた。なぜなら元帥は天皇を守ることが正義であると考えておられ今後も力の及ぶかぎりそうなされるでしょう。しかし、元帥といえども神のように万能ではないのですよ。元帥は日本がこの新憲法を受け入れるのなら天皇に誰も手が出せないよう全力を尽くすでしょう…」
詰まるところ、「GHQ草案を受け入れないのであれば、天皇陛下のお命がどうなっても知らねえぞ」と脅されたのです。
むろん、このように言われては敗戦国日本に反論の術など何もない。
しかもホイットニーは「GHQ草案を素直に受け入れないなら、おまえたちも戦犯で裁いてもいいんだぞ」という脅しまでかけています。
最後にホイットニーは「これからどのような草案が日本側から出てこようとも、このGHQ草案に盛り込まれた基本原則が取り入れられていなければ元帥が承認されることは絶対にない」と再度念を押しました。
そして、次の会談までにGHQ草案を日本語に訳すなどの準備を整えておくように伝え、11時10分、ホイットニーらは外相公邸を後にしました。
これが、戦後日本の運命を決定づけた約70分の秘密会談の真実です。
こうして現行憲法は日本政府が建言したという体裁を取りつつも、その中身はほぼGHQ草案のまま制定されることになったのです。
松本烝治には同情するほかありませんが、吉田茂は許せない。
秘密会談の場で激しく動揺した様子をみせていた吉田ですが、その10日も前にGHQの憲法草案を手渡され読んでいたのですから。
要するに、吉田茂はGHQの駒となって占領政策がうまく進むように日本政府内で暗躍し、その献身的な姿勢がマッカーサーに評価され、塩梅よく総理大臣の地位にまで上り詰めたわけです。
これぞ典型的な敗戦利得者。
吉田内閣の下で、新憲法があたかも日本人の手で書かれたかのように発表されたのも宜なるかなです。
同じ敗戦国でも、戦後のイタリアでは20回、なんとドイツでは既に59回も憲法改正が行われているなか、日本だけが一度たりとも憲法に手がつけられていないのは、敗戦利得者政党の自民党が長きにわたり政権政党として君臨しているからです。
しかも自民党はGHQ憲法の規定に則って憲法を改正しようとしています。
それでは却ってマッカーサー憲法(占領憲法)に正当性を与えることとなり、わが国を未来永劫にわたって属米国家にしてしまうことになります。
よって、「占領憲法の無効宣言」を国会決議した上で、明治憲法の復元を確認し自主憲法を制定しなければならない。