占領憲法制定秘史(2/3)

占領憲法制定秘史(2/3)

<昨日のブログのつづき…>

昭和21年2月13日の午前10時、GHQのホイットニー准将はマッカーサー元帥の名代として、部下3人を引き連れ吉田茂外相の公邸に乗り込んできました。

むろん、憲法草案についての秘密交渉を行うためです。

席に着いたホイットニーはさっそく、松本草案に対する死刑宣告を述べはじめました。

「先日、あなた方が提出した憲法草案を受け入れることは絶対にできない」と。

ホイットニーは続けて言う。

「マッカーサー元帥は専制支配の悪性に苦しんできた日本国民を守るべく、自由で開放的な憲法が国民のために必要不可欠だとふかく認識されている。今日、あなた方に提示する草案は、元帥が日本の現状を憂い、日本を民主主義国家へと導くために必要な諸原理を具体化し、元帥自身が承認された文書です。あなた方が今からこの草案を検討できるよう、私と部下は一時退席する」

一番、驚いたのは松本だったでしょう。

てっきり、自分が既に提出した憲法草案をたたき台にしてGHQとの交渉が進められていくものと思っていたのに、まるで大復ビンタを食らうようにGHQ草案を急に叩きつけられたのですから。

このときの吉田や松本たちの表情をラウエルは次のように伝えています。

「日本の出席者は、突然、脳震盪に襲われたかのごとく無表情で物も言わない。特に吉田外相の顔は動揺と絶望感を露わにしていた」と。

ホイットニーは部下3名の方を向いて、GHQが書いた憲法草案(マッカーサー草案)を吉田たちに渡すように命じました。

マッカーサー草案の原本は5通ありました。

よってこのとき、草案の複写6番目が吉田茂に、複写7番が松本烝治に、複写8番が長谷川元吉に、そして複写9〜20番が白洲次郎に渡されました。

ここからが重要です。

GHQが独自に書いた憲法草案(マッカーサー草案)は世界に5通しか存在しません。

そのうちの1通が、2015年にスタンフォード大学のフーバー研究所の公文書館で発見されました。

発見したのは、GHQ占領統治研究の第一人者であられる西鋭夫教授です。

そこには、現行憲法の9条「戦争放棄」に関する条文とほぼ同じものが既に8条に書かれていたとのことです。

西教授が更に読み進めると、その文書の裏側にはその1通の持ち主が記載されていました。

持ち主の名は、ラウエルです。

どうやら日本が主権を回復したのち、ラウエルがスタンフォード大学に寄贈した物らしいのですが、なんとそこには他の4通の持ち主の名前も記載されていたのです。

1通目と2通目は、マッカーサー本人。

3通目はホイットニー准将。

5通目はスタンフォード大学に寄贈したラウエル。

さて、4通目の持ち主は誰でしょうか。

驚くなかれ、なんと吉田茂です。

マッカーサー草案を叩きつけられた際、吉田茂は面を食らったように驚いてみせたわけですが、それは演技だったのです。

彼は事前にGHQからマッカーサー草案を渡されていたのです。

要するに、いかに吉田茂がGHQとツーカーの中であったのかが、よくお解りいただけることでしょう。

10時10分、ホイットニーは吉田たちにGHQ草案を読むように命じ、部下3名とともに部屋を出て陽あたりのいい庭に移動しました。

<明日のブログにつづく…>