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もしも2・26事件が無かったら



85年前の今日、日本を震撼させる大事件が発生しました。

平均年齢27歳の陸軍青年将校たち二十数人が企てた、いわゆる2・26事件です。

その大事件の舞台となったのは政治の中心である永田町周辺で、武力蜂起した総勢1,483人の陸軍反乱部隊がわずか数時間で帝都の中枢を占拠し、ときの総理をはじめ侍従長、内大臣、大蔵大臣など政府要人たちを次々に襲撃し惨殺したのです。

当日の東京は、一面が銀世界となるほどの大雪だったという。

夜明け前、あたりはまだ暗く静寂のなかにある帝都で得も言われぬ緊張感にみちた場所がありました。

その場所とは、陸軍第1師団の歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊です。

青年将校らは、部下にあたる下士官や兵士などを緊急招集し、総勢1,483人もの部隊を組織し、ときの政府要人を襲撃しようと準備をしていたわけです。

その後、彼らはいくつかの部隊に別れ、それぞれの襲撃場所へと向いました。

襲撃場所とは、総理官邸、赤坂にあった高橋是清蔵相私邸、麹町にあった鈴木貫太郎侍従長官邸、四谷にあった斎藤実内大臣私邸など。

ほか、渡辺錠太郎教育総監など政府要人多数を襲撃し、陸軍大臣官邸、警視庁、新聞社をも占拠しました。

さて、何が陸軍青年将校らを武力蜂起させたのでしょうか。

青年将校らは決起した理由を次のように述べています。

「総理を中心に政府要人たちは私利私欲に走り、天皇陛下の絶対的な権限を軽視し、国民を苦しめ腐敗している」

もともと彼ら青年将校たちはいわば尊王左翼主義者たちで、やがて天皇を頂点とした社会主義国家を樹立したいと考えていたことも決起した理由の一つかと思われます。

しかしながら、ご承知のとおり彼らの武力蜂起は失敗に終わりました。

昭和大帝の断固とした決意のおかげで陸軍参謀本部は決起部隊を反乱軍と断定(認定)することができ、事態は収集されたのです。

とはいえ、対応を一歩間違えば、陸軍と海軍とが帝都で武力衝突するなど内乱にまで発展しかねないほどの国家の危機でした。

なお私は、この事件の伏線を2・26事件から遡ること4年前の「5・15事件」と「血盟団事件」に見ることができると考えています。

1932(昭和7)年3月に三井財閥の団琢磨が暗殺される「血盟団事件」が起き、続く同年5月、犬養毅首相が暗殺される「5・15事件」が発生しました。

血盟団事件にしても5・15事件にしても、その背景にはデフレ経済からくるルサンチマン(社会への鬱屈とした不満)が明らかに存在していたと思います。

なにせ決起した彼らの大義名分は「財閥の粛清」と「腐敗政治の是正」でしたので。

例えば団琢磨を殺した者は、その襲撃理由を問われ「三井財閥は儲けているからけしからん」と答えたという。

儲けているだけで殺される理由になるほどに、当時もデフレ経済は深刻だったのです。

しかも時の首相を殺す5・15事件を引き起こしておきながら、処分された将校らからはひとりも死刑がでませんでした。

全国から「将校らの助命嘆願」が寄せられたこともあったようですが、この点からも世論は青年将校らを支持していたといっていい。

即ち5・15事件の青年将校らは、全国のデフレ・ルサンチマンの代弁者だったと言えます。

繰り返しますが、当時においてもデフレ経済とは国民貧困化経済だったのです。

私は、この5・15事件での処分の甘さが後の2・26事件の遠因になったものと考えます。

因みに、5・15事件の翌年となる1933(昭和8)年には、高橋是清蔵相の積極財政(政府債務の拡大)政策によって、我が国は世界に先駆けていち早くデフレから脱却しています。

しかし2・26事件で高橋是清は殺された。

殺した青年将校らの言い分は「高橋が軍事費を削ったからだ」というものでした。

彼ら青年将校らは大いに誤解していました。

なにも高橋是清は反軍思想から軍事費を抑制したのではありません。

デフレ脱却後のインフレ調整のために歳出規模を抑制しただけのことで、しごく全うな財政政策でした。

高橋是清は現代貨幣理論(MMT)をほぼ理解していましたので。

結果として2・26事件ののち、山本権兵衛内閣のときに廃止されていた軍務大臣現役武官制が復活されることになりました。

あろうことか、陸軍内に政治外交を担当する部署までできてしまったのです。

以降、陸軍の意向に反した内閣を組閣することは不可能となります。

その陸軍が日独伊三国同盟を主張し、それを具現化したことで、我が国は英米を相手とした泥沼戦争に引き込まれていったのです。

2・26事件は、その後の我が国の命運に大きな影響を与えた極めて深刻かつ重大な事件だったと思います。

よく「歴史にもしはない…」と言われますが、「もし…」がなければ洞察できない。

もしも2・26事件が無かったら、と考えることもまた歴史から学ぶという点で極めて重要な思考方法だと思います。
2021/02/26

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