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コロナ対策の主軸を転換せよ

神奈川県が8日、新型コロナの感染経路、あるいは濃厚接触者を調査追跡する「積極的疫学調査」の対象を絞り込み、縮小することを発表しました。
ただ、高齢者施設等の福祉施設や医療機関など、感染が周囲に拡大すると重症化リスクの高まる施設に関わる人たちについては調査を簡略化して続けるようですが、それ以外は原則として調査しないとのことです。
私は以前から、追跡調査したところで法的強制力をもって対象者を隔離できない現状では、多くの職員を割いてまで追跡調査する意味はあるのか、ということを主張してきました。
世間では「役所は無駄に職員が多い」みたいに言われますが、実際には総体として、どこの役所も部署もマンパワー不足です。
川崎市などもこの20年間で2割近い職員を削減してきました。
いわゆる“平成の構造改革”のなかで、多くの首長が「うちはこれだけ職員を減らしました」と自慢し、それを多くの国民が絶賛してきました。
べつに職員を減らしたところで税金が安くなるわけでもないのに…
むしろ行き過ぎた職員の削減によって行政サービスの低下が著しく、結果として市民が支払う税金が割高になったとさえ言えます。
こうした貴重なマンパワーを効果の薄い仕事に向けるより、例えばワクチンの接種体制の強化など、今後重要となるセクターに振り向けたほうがよほどに効果的であり現実的です。
ゆえに、今回、神奈川県がとった措置は賢明だと思います。
さて一方、メディアは連日のように病床逼迫の悲鳴を伝えていますが、病床もまた、平成の構造改革によって容赦なく削減されてきたもののうちの一つです。
因みに、平成の構造改革を煽ってきたのはメディアです。
今頃にになって(危機が発生してから)、「病床が足りないのは問題だぁ〜」などとよく言えたものです。
因みに、コロナ対策として「法的強制力の必要性」が政治上のアジェンダになると、これまた難癖をつけて異を唱えるのもメディアです。
「これ以上、国家に私権を制約する権限をもたせるべきではない」みたいに。
よく日本では「官の力がつよく、民の力が弱い」みたいにも言われますが、それは嘘です。
例えば現在、日本の行政には、医療機関に感染症患者を受け入れさせる法的な強制力はありません。
医療法では、どんな患者を受け入れるかは医療機関が決めることになっています。
医療機関に対する監督権限をもっている都道府県が病院に対して「こういう病床を用意せよ」と命令することも指示することもできません。
その証拠に、現在でも新型コロナウイルスの感染患者を受け入れるどうかを決めているのは、各医療機関の病院長です。
行政ができるのは、あくまでも病院に対する協力要請だけです。
いま、感染者の受け入れが公的病院や公立病院に集中し、民間病院での受けれが進んでいないのはそのためです。
川崎市には市立病院が3病院ありますが、すべての市立病院で受け入れを行っています。
こうなると、公立病院をたくさんもっている自治体は有利になります。
例えばお隣の横浜市には、市立病院だけでなく、県立病院、国立病院、そのほか公的病院が複数存在しています。
残念ながら川崎市には、国立、県立の病院はなく市立病院しかありません。
ところが、世の中には「横浜市には市立、県立、国立の3種類もの公立病院があるのは無駄だぁ、これは3重行政だぁ」と言って問題視する人たちがいます。
例えば西の方に…(大阪維新の会)
どうみても、すべてが後手に回っている政府の新型コロナ対策。
「Go To 飲食」と言ったり、「飲食店は8時まで」と言ったり。
このままでは、定期的に緊急事態宣言を出すような最悪な事態になります。
OECD先進諸国はワクチン接種の普及に最後の望みをかけ、コロナ対策の主軸を既に「接種体制の強化」とし舵を切っています。
この点でも我が国は、To Little To Late です。
いまこそ川崎市が全国の自治体の先頭にたって臨むべきです。
過日の私の議会質問に対し、福田市長はその決意を既に示しています。
2021/01/11 |