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改革あっても成長なし

子供のころ学校の歴史教育では、あの桶狭間の戦いについて「尾張の小国だった織田信長が駿河の大国であった今川義元に奇跡的に勝利した…」みたいに教えられた記憶があります。

ところが、後に豊臣秀吉が行うことになる太閤検地によると、当時の今川家の石高が69.5万石だったのに対し、織田家は57万石の領地を有していたことが判明しています。

織田家の領土は、面積からすると今川家の3分の1程度しかありませんでしたが、石高では10万石程度の差にまで迫っていたわけです。

このことは、織田家が領内の農業投資を積み重ねてきたことの結果かと思われます。

その積み重ねが織田家の財力を豊かにしたことは言うまでもありません。

信長さんが桶狭間で勝利できたのは、何よりも兵農分離を進めたことで、信長という総大将の決断一つで、百姓兵でなく戦専門の大部隊を俊敏に動かすことができたことによると思われますが、それを具現化できたのもそれなりの経済力を有していたからでしょう。

因みに、石高のみならず、織田家の領内では熱田や津島を中心に貨幣経済が進んでいたことも見逃せません。

信長さんに限って言えば、農業投資のみならず、天下統一にむけて様々なインフラ投資を行っていることも注目点です。

例えば、道路網の整備です。

当時の戦国武将の常識としては、軍事戦略上、道路は他国から攻め込まれないように狭く曲がりくねっているものでしたが、信長さんはその常識を覆します。

むろん、武田信玄などのように、安全な地域に限って軍用道路を整備するなどの事例は多々あります。

しかしながら信長さんは軍用ではなく、あくまでも経済道路もしくは生活道路として幅員の広い道路を整備しています。

なんと当時としては「スーパー規格道路」といっていい、幅員6メートルの街道を整備してネットワーク化しています。

このことは商人たちの往来を増やし、商品流通と貨幣経済を活性化したことは言うまでもありません。

そして、信長さんのこうしたインフラ整備があったればこそ、それがその後の江戸経済の礎となって元禄時代までの高度経済成長を可能にしたのだと推察します。

江戸初期から元禄時代まで、日本のGDPは2倍、人口は3倍に増えています。

投資なくして成長なし、です。

しかしながら、1990年代後半以降、我が国は常に「改革しても成長せず」でした。

そして、その改革には財政の健全化という財政改革(緊縮財政)も含まれています。

下のグラフは、日米独の公的固定資本形成の推移(2005年=1)を比較したものです。

公的固定資本形成とは、要するに公共事業費から用地買収費を除いたものです。

ご覧のとおり、残念ながら我が日本国政府は、あの緊縮財政の権化であるドイツ政府よりもインフラ投資をしていないのです。

成長なんてするはずない。

公的固定資本形成
2020/11/11

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