ブログ

HOME» ブログ »ソーシャルデザインセンターという、新たな「行政ゴミ」

ブログ

ソーシャルデザインセンターという、新たな「行政ゴミ」

国家、社会、国民にとって不必要な行政施策や条例を「行政ゴミ」といいます。

行政ゴミは、たいての場合、いかにも耳障りのいい理念だけで構築されています。

むろん中身をみると具体性などはなく、ただただ抽象概念だけで言葉が踊っていて、結局なんのこっちゃよくわからないものがほとんどです。

例えば近年で典型的なのは「自治基本条例」という行政ゴミです。

この条例は、今から約20年前ごろから各地方自治体において制定が相次ぎました。

その後、多くの地方自治体で制定されています。

ところがどこの自治体でも、そんな「行政ゴミ」があることすら多くの住民は知らない。

おそらく現在に至ってもなお、そんな条例があることを圧倒的多数の川崎市民はご存じないと思います。

それもそのはずで、当該条例は現実の要請から、あるいは社会や国民からの必要性に迫られて制定された条例などではなく、一部の限られた人間の頭の中だけで言葉がこねくり回され構築され、いかにも無味乾燥な人工的な抽象概念によって作られた歪で独りよがりなエゴ条例だからです。

それに、こんな条例など存在しなくとも、国民生活や行政運営にはなんの支障もないのですから、ふつうの住民が知らなくとも当然でしょう。

ところが、このゴミがまた質(たち)の悪いゴミで、存在しなくとも何ら影響はないくせに、存在することで有害物質を撒き散らす有害ゴミなのです。

私はこれまで議会の場ではもちろんのこと、本市当局や同僚議員、そして有権者の皆さんに対し、この種の行政ゴミの危険性について警鐘をならしてきました。

その理由は以下のとおりです。

例えば「自治基本条例」は、一般的に自治体の最高規範(自治体の憲法)として位置づけられています。

その背景には中央政府の存在を否定し、究極的には地方自治体が国から独立することが理想的だとする考え方、即ち国民国家としてのまとまりそのものを否定した国家解体の根本思想があります。

しかしながら、国民国家としてのまとまりがないと、医療や介護や教育といった国民福祉は成立しません。

また自治体によっては、この条例の制定を外国人地方参政権への足がかりとしているケースもあります。

自治基本条例でいう「市民参加」の「市民」には、川崎市民以外でも市内で勤務する人のほか、市内に住む外国人までもが含まれます。

要するに、外国人を含めた市民による政治参画と意見表明の方法が盛り込まれ、誰にも反対できないような美辞零句が謳われ、なおかつこの条例を遵守することを議会や市民に宣誓させているのです。

つまり、外国人市民によって選挙権と被選挙権が侵害されているといっていい。

加えて、国の政策と真っ向から対立する政策を盛り込む自治体さえありました。

まさに典型的な理念条例なのですが、あくまでも日本国憲法や地方自治法は代表民主制を原則とし、直接民主制を補完的措置として位置づけているのに対し、自治基本条例は明らかにこの原則を否定しています。

そもそも私は、理念を条例化することは全体主義思想そのものだと考えています。

理念を条例化することの何が悪いのかといえば、理念条例は条例自身が不磨の大典と化し改正できないものとなるからです。

その証拠に、これまで川崎市の自治基本条例が改正されたことなど一度もありません。

もともと必要とされていない条例であるがゆえに多くの市民に無視されている、ということもありますが…

あるいは、自治基本条例に基づいて作られた「区民会議」により、市民が選んだ議会よりも、選挙でオーソライズされなかった少数意見が尊重されることになりました。

要するに当該条例は参政権の不平等であり無駄かつ有害で、「行政ゴミ」を通り越してもはや「有害行政ゴミ」といっていい。

さて、川崎市の市民文化局が、またまた新たな行政ゴミをつくろうとしています。

その名も『ソーシャルデザインセンター』!

だいたい行政が横文字の制度やスローガンを叫びはじめたときは要注意です。

役所内では「SDC(ソーシャル・デザイン・センター)」とか呼ばれているらしい。

そのSDC…

なんでも「市民創発(!?)」によって「市民自治(!?)」を促し、自治会や商店街や趣味の会などの複数のコミニュティを、まるで北朝鮮のように行政が主導して繋ぎ合わせ、彼ら彼女らを「市民創発」の名の下にタダ働きさせ、少子高齢化社会を迎えても行政がおカネを使わなくても済む「希望のシナリオ(!?)」を実現するのが目的らしい。

国民の皆様、行政が行政施策のために国民にタダ働きさせることを「徴用」といいます。

厳密に言えば「平時徴用」です。

現に今だって、本当はやりたくないけど、町会や自治会との付き合いで、やむなく「市政だより」を無償(結果として無償)で配らされているご高齢の市民の方々がおられます。

川崎市がカネを使わなくて済む「希望のシナリオ」は、そうした無辜の市民に対して更なる仕事(徴用)を押しつけることになります。

ちょっと待て、もしもその中に外国人市民がいたらどうするのか?

例えば30年後ぐらいに、日本大使館の前にソーシャルデザインセンター像が建って「うちの親は川崎市に強制的にタダ働きさせられたぁ」と言って、賠償金を請求されたらいったい誰が責任をとるのか…

一方、このソーシャルデザインセンターのために、あの自治基本条例に基づいてつくられた「区民会議」にかわり「新たな区民会議」がつくられるのだという。

失礼ながら、これまで「区民会議」に参加された人たちの平均年齢は「60歳」を超えておられます。

それもそのはずです。

懸命に働いておられる現役世代に、そんなものに参加する時間的余裕などありません。

だからこそ、代表者を選挙で選び市政を託しているのですから。

おそらく「新たな区民会議」もまた同じような顔ぶれとなることでしょう。

とりわけ、働く若い世代の意見がなかなか政治に反映されないことが社会的な問題として指摘されている今、川崎市はまた同じことをやるのですか。

そもそも日本国民たる川崎市民の圧倒的多数は、タダ働きさせられる「ソーシャルデザインセンター」だの、行政がカネを使わなくて済む「希望のシナリオ」だの、わけのわからない「市民創発」など、いっさい求めていません。

国民が真に求めているのは、住民を水害から守ってくれる水門であり堤防であり下水管であり、そして安心して飲むことのできる良質な水であり、家族や自分を救ってくれる医療であり介護であり、安心して預けられる学校や保育園であり、満員電車に乗らなくとも済む充実した交通インフラです。

川崎市役所の優秀なる貴重な人材を、そうしたことに登用してほしい。

行政ゴミは市民にとってだけではなく、やる気のある市役所職員にとっても有害なのです。

行政ゴミ
2019/12/14

ブログ

セミナー

BLOG

議会報告書

メディア掲載

プロフィール