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平和運動とリアリズム

敗戦利得者に支配されて数十年、毎年8月になると、我が国のテレビ・新聞は「あの戦争を二度と繰り返すな」というテーマで盛り上がります。
そして全国津々浦々で「戦争の反省」をテーマにした集会やイベントが行わていますが、今年はコロナ禍で多くの集会やイベントが自粛されたのでしょう。
そんな8月も残りわずかとなりました。
ご承知のとおり、“あの戦争”とは1945年に我が国が連合国に降伏した、あの戦争のことです。
とはいえ、どんなに反省しようがしまいが、“あの戦争”が再び生起する可能性は極めて低い。
例えば、あの戦争が終わるまでの150年間は、ナポレオン戦争以降、クラウゼヴィッツのいう「絶対的戦争」、即ち「国家間決戦」の時代でしたが、そこでは多くの場合、敵国の首都まで進軍し敵国土を我が物にするか、あるいは賠償金をとって「二度と刃向かわない…」と約束させるかの方法で戦争を終結させていました。
しかしながら、第二次世界大戦終結以降、そんな戦争(国家間決戦)は世界から消え去りました。
なぜなら、「核兵器」と「覇権国」が出現したからです。
核兵器という強烈な大量破壊兵器を2カ国以上が保有すると、そのうちの2カ国同士は共倒れになるために「国家間決戦」ができなくなりました。
また、核兵器を持たいない国同士が国家間決戦をすることはあり得ますが、そうした国に影響力をもつ覇権国がそれに干渉するためにそれもできなくなります。
例えば朝鮮戦争、ベトナム戦争などがありましたが、それらは米国、ソ連という2大覇権国のコントロール下による局地戦・代理戦として制限された紛争であり、けっして世界戦争にもならず、核兵器が使われることもありませんでした。
その後、ソ連も崩壊し、1990年代以降は米国を盟主とした一極秩序が世界秩序を形成しています。
このように言うと「おまえは軍事を肯定するのか」みたいに言ってくる人たちがいますが、「核兵器」と「覇権国」の出現により結果として秩序がもたらされた現代のほうが、核と覇権国なき時代(国家間決戦の時代)よりも戦争による死者数(犠牲者数)は圧倒的に少ない。
少なくとも、国家間決戦(あの戦争)は反日左翼運動家たちによる“平和運動”によって消滅したのではなく、皮肉にも「核兵器」と「覇権国」の存在によって消滅したのです。
これは良し悪しの問題ではなく、冷徹にみなければならない「現実」です。
ただただ「戦争は悲惨だ…」という短絡的な反省だけでは現実の平和を手にすることはできません。
平和及び独立とは、リアリズムによって維持創出されるものだと思います。
その米国による一極秩序に陰りがみえてきました。
といって、例えば米中の間でかつてのような国家間決戦が繰り広げられることはないでしょう。
メディアは「米中戦争」などと叫んでいますが、米国も中国も共に相手方の首都を制圧しようなどとは考えていません。
中国は東シナ海と南シナ海、および第ニ列島線から米軍を排除(アクセス拒否)できれば勝ちと考えていますし、米国はそれを阻止できれば勝ちと考えています。
もしも東シナ海、南シナ海、第二列島線から米軍がはじき出されるような事態となれば、今の我が国の国防水準では尖閣どころか、沖縄を失い、九州を失い、最終的には日本全土が「中華人民共和国 倭人自治区」になってしまいます。
ゆえに今の我が国は…
① 現世界秩序を維持し守るための力
② 現世界秩序を危うくする事態に即応対処するための力
③ 次代の世界秩序構築にむけて備えるための力
…を養わなければなりません。
①②③の力を養うには、少なくともGDP2〜3%の防衛費が必要です。
2020/08/24 |