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曳かれ者史観

靖国神社

国家、国民にとって、平和とはたんに国家間戦争が起きていない状態を言うのではない。

国民の命が危機に晒されることがないのはもちろんのこと、領土領海の保全、経済、制度、体制の安定、長い歴史のなかで育まれてきた文化、伝統、名誉が脅されるなどの問題がない状態を言う。

しかしながら我が国は今、20年以上にも及ぶデフレ経済から国民生活は貧困化し、領土領海は他国により侵食され、防災インフラの整備不足から毎年のように多くの人命と財産が災害で奪われています。

また、自らのビジネス利益を拡大することを目的に政府の審議会等に入り込んでは制度や法律をご都合主義で変更していく輩が跋扈し、あまつさえ政府中枢には我が国の文化伝統の象徴を貶める君側の奸が巣食っています。

そして歴史と名誉に至っては我が国の近代史ほど国内外において貶められたものはありません。

考えてみれば毎日更新するこのブログは、いかに戦後日本が「平和な状態ではない」かを連綿と綴っています。

幕末、開国を拒否していた日本を軍事力で脅し、そして強引に国を開かせ日本を帝国主義世界へと引きずり込んだのは米国です。

帝国主義世界に引きずり込まれた以上、急ぎ近代国家(国民国家)をつくりあげねば国家として独立を維持することはできません。

それができなければ欧米列強の植民地となり、日本人は国民ではなく奴隷になっていたか、歯向かえば皆殺しにされていただけです。

私たちの先祖たちは、血のにじむような努力と、多くの将兵の犠牲によって、わずかか50年で有色人種で唯一の近代国家をつくりあげました。(しかも近代国家を運営するに必要な資源はすべて外国から輸入して…)

それが列強白人国には気に入らなかった。

だから彼らは、日本が近代国家を運営するに必要な資源をことごとく止めて締め上げた。

その最高潮が、いわゆるABCD(米・英・支・蘭)包囲網です。

それでも日本は戦争に訴えることなく、ただただ「資源を売って欲しい」と粘り強く交渉を進めました。

ところが、ABCD包囲網を主導する米国政府は頑なで交渉は妥結しません。

それもそのはずです。

なぜなら、そもそも米国には対日交渉に応じる気など微塵もなく、交渉は対日戦争を準備するための時間稼ぎに過ぎませんでした。

そしてついに、昭和16(1945)年11月26日、それまでの交渉段階を無視する強引な案が米国政府から出されたのです。

いわゆる、ハル・ノートです。

唯一の国際法専門家として東京裁判で判事を務めたパル判事は、その判決書のなかで「こんなものを突きつけられたら、ルクセンブルグやモナコでも立ち上がるであろう」という米国の歴史家の言葉を引用しています。

なお「ハル・ノートは最後通牒(宣戦布告)と見做しうる」とする外交専門家も多い。

こうした経過を振り返ってみれば、日本が生き残る道はもはや戦争しかなかったことが伺えます。

人種差別からくる米国の日本人敵視政策は、まずは日英同盟を破棄させることで日本の防壁を壊しました。

次いで、絶対的対日移民法により米国から日本人を締め出しました。

そして近代国家を運営するための資源の一切を海外に依存している日本の貿易を止めた上でのハル・ノート(宣戦布告)です。

これらの経緯を一切無視して、ただただ戦争と兵器の悲惨さだけを並べあげ「戦争した日本は反省すべき」という無知蒙昧な歴史観を“曳かれ者史観”といいます。

曳かれ者とは江戸時代の犯罪者の呼称で、“曳かれ者史観”は菊池寛賞を受賞した随筆家・山本夏彦氏の造語です。

山本夏彦氏は戦後の左翼史観をそのように呼んだのです。

なぜなら、戦前の革命運動家は曳かれ者だったからです。

日本が戦争に負けたことで、彼らは野に放たれ「敗戦利得者」となりました。

戦後、彼ら曳かれ者たちは「日本は侵略国家」だの、「南京で虐殺した」だの、「朝鮮を搾取した」だのとデマの拡散に尽力しました。

こうした“曳かれ者史観”が、我が国の歴史と名誉を貶めてきたことは明らかです。

75年前の8月15日は、こうした手合(曳かれ者たち)に免罪符が与えられた日でもあります。

今もってなお、我が国に平和は訪れていない。
2020/08/15

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