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PCR検査の拡大と大東亜戦争の敗因

昭和26年5月3日、連合国総司令官だったマッカーサーは、米国上院の軍事外交合同委員会に招聘され、日本が戦争するに至った理由を尋ねられました。

彼は…
①日本には近代国家を運営するための天然資源が何もないこと
②それらの多くがアジアの海域に存在していたこと
③これらの供給が断たれたら日本国内で1,200万人規模の失業者がでていたこと
…を前置きしたうえで、次のように述べました。

Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.
(従って、日本が戦争に突入した目的は主として安全保障の必要性に迫られてのことだったのです)

敵の大将であるマッカーサー自身ですらこのように述べているのだから、戦後を生きる私たち日本国民は「戦争したこと自体」を反省するのではなく、「なぜ日本は負けたのか」を検証し反省しなければならない。

米国は、既に日清戦争直後から対日戦争計画(対日戦略プラン)を周到に練っていました。

いわゆるオレンジ・プランです。

ただ、それはあくまでも「戦略プラン」であり「軍事力整備計画」ではありませんでした。

一方、我が国は日露戦争以後、仮想敵国を陸軍はソ連、海軍は米国とそれぞれに定め、脅威対抗論で防衛力を整備しました。

軍事力整備は脅威対抗論ではなく、戦略目的を明確化したうえで整備されなければなりません。

「ただ脅威だから…」という理屈で整備したら際限がない。

しかし帝国陸海軍はその愚を犯しました。

具体的には、陸軍はソ連の脅威に対抗し「50個師団」、海軍は米国の脅威に対抗し「八八艦隊(戦艦8隻、大型巡洋艦8隻)」とかいう軍備構想を建てました。

結果、陸軍は予定外の敵(米国)と戦うこととなり、海軍は予定の敵と戦ったものの、その敵の懐の深さと科学技術の進歩を見誤り、自分たちに都合の悪い情報の一切を無視しました。

むろん、陸と海で脅威認識が異なっていたことも大問題でした。

戦略とは、目的と手段に関する意図的な調整によって描かれます。

戦略が破綻する最も一般的なパターンは二つのミスマッチにありますが、大東亜戦争時の帝国陸海軍は戦略そのものを見失っていたといっていい。

戦争末期には、いったい何のために戦っているのかすら怪しいものでした。

そもそも陸軍と海軍との一体的な戦略などなかったのですから。

しかしながら、戦後の日本は、ただただ戦争の悲惨さを嘆くばかりで、この種の検証や反省を怠ってきました。

ゆえに、日本の政府もメディアも国民も、新型コロナウイルスによるパンデミックという国難に直面してもなお、大東亜戦争のときと同じ過ちを繰り返しています。

新型コロナウイルス・パンデミックという敵に直面した今、その戦略目標は…
①死者を出さないこと
②経済を疲弊させないこと
…以外にありません。

①②の戦略目標を達成すための手段とは何かを、科学的な検証をもとに医学的・経済的観点から政策決定がなされなければなりません。

例えば、「心配(脅威)だから…無症状者へのPCR検査を拡大しろ!」という理屈にいかなる戦略性があるのか、はなはだ疑問です。

このブログで何度もご紹介しているとおり、無症状感染者がPCR検査を行った場合の偽陰性率は、67〜100%です。

PCR検査の偽陰性

無症状感染者が、たった一度のPCR検査で陰性とされ「お墨付き」をもらい街を闊歩することの危険性を指摘せざるをえません。

また、PCR検査数と戦略目標である「死者を増やさない」ことに、残念ながら因果関係も相関性もありません。

そのことは、信頼の置ける非営利団体が発表する情報サイト『Worldmeter』が明らかにしています。

そこで『Worldmeter』から、主要国のPCR検査数と新型コロナウイルスによる死者数をグラフ化してみました。

PCR検査

ご覧のとおり、英国、米国、スペインなどは、羽鳥のモーニングショーで玉川何某が喜びそうなほどにPCR検査数を拡大してきた国ですが、残念ながら新型コロナウイルスによる死者数もまたトップクラスです。

あるいはフランスなどは、ギリシャよりもPCR検査数を増やしてきましたが、死者数をみるとギリシャの22倍(単位人口あたり)になっており、即ち、PCR検査の拡大が必ずしも死者数の抑制には役立っていないことがわかります。

因みに、PCR検査の拡大で効果を上げているとされる韓国、ニュージランド(NL)などは、警察権力等を行使することで感染者や濃厚接触者をほぼ完全に追跡しフォローしています。

即ち、上のグラフが示していることの一つは、PCR検査の拡大は警察権力や国家権力による強制力を行使した場合のみ効果的であるということです。(政府が何もせずに成果を上げているのは日本だけ)

少なくともPCR検査の拡大が死者数を抑制する、という科学的根拠は見当たりません。

一方、左翼区長で有名な世田谷区長は「いつでも、どこでも、何度でも」をキャッチフレーズにPCR検査を独自に拡大するという。

いわゆる“世田谷モデル”です。

「いつでも、どこでも、何度でも」とはいえ、92万人の世田谷区民がたった一回のPCR検査を受けるには、仮に1日3,000件の検査能力があったとしても300日を要することになります。

しかも、くどいようですが無症状感染者の偽陰性率は、67〜100%です。

それに、1日3,000件の検査能力を有するための人員、機材、施設、財源、フォロー体制(感染が確認されてもフォロー体制が確立されていなければ意味がない)は確保できているのか?

確保できないままに“世田谷モデル”が断行されるのであれば、兵站や補給を無視して断行されたインパール作戦やガダルカナル作戦と同じです。

インパール作戦の作戦計画が練られている際、東條閣下は参謀本部に対して「補給は大丈夫か?」と念押しに確認したところ、参謀らは今さら「不十分です」とも答えづらかったらしく「ダイジョブであります」と答えたという。

その答えづらかった「空気」というのもまた、歪んだ世論が形成されたがゆえにPCR検査の拡大に異を唱えづらくなっている昨今の「空気」に似ています。

よく軍事の世界では、英国の将軍、ドイツの参謀、日本の兵隊で組織された軍隊こそ世界最強の軍隊であるなどと揶揄されています。

大東亜戦争においても、日本軍は現場で戦う将兵たちが一番優秀でした。

だから、例え無謀かつ無能な作戦計画であっても、現場は異常なほどの努力と頑張りによって奮戦しています。

その姿はまるで、コロナ禍の日本における医療施設、介護施設、保健所などの各現場の職員の皆さんが、日夜過酷な状況下で闘っておられる姿に重なります。

政府は右往左往するばかりで、「欲しがりません勝つまでは…」みたいな世論が形成されつつあります。

そして、「いつかは神風が吹いてくれる…」と言わんばかりにPCR検査の拡大に期待を寄せるその姿は、まるで神風特攻、あるいは戦艦大和の沖縄特攻に最後の望みを託す姿に似ていなくもない。

安倍のマスク、GoToトラベル、PCR検査の拡大等々、数え上げればキリがありませんが、無能で非科学的は作戦計画をたて、それを実行して混乱するのは敵ではなく現場であり日本国民です。

世田谷区のみならず、まずは国策として「新型コロナウイルスによる死者を出さない」という戦力目標に対し、はたしてPCR検査の拡大が合理的な手段であるのかどうかを再考してほしい。
2020/08/14

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