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私たちは忘れない



75年前の今日(8月6日)、広島に原子爆弾が投下されました。

死亡者は11万人以上を超えますが、後遺症でのその後の死亡を含めると20数万人にも及びます。

その3日後の8月9日には、2発目の原子爆弾が長崎にも投下され、やはりその後の後遺症による死者を含めると14万人以上の犠牲者を出しています。

原爆投下命令は、7月24日、ポツダムにいたトルーマン米大統領によって正式承認されたものですが、8月3日以降に広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ投下することになっていたという。

戦後日本では「原爆を投下されたのは、日本がポツダム宣言の受託を拒否したからだ…」と言われてきました。

しかしながら、ポツダム宣言は7月26日に発せられ、日本に到達したのは翌日の27日です。

前述のとおり、トルーマン米大統領が正式承認したのは7月24日ですので、ポツダム宣言とは無関係に原爆投下は既定路線となっていたわけです。

なお「原爆投下により多くの米兵の命が救われた…」などと正当化するむきもありますが、広島に原爆が投下される2カ月前から日本はソ連を仲介として降伏する用意ができていたのは周知のとおりです。

さらには「広島は軍港だったらか仕方がない…」などと言われることもありますが、爆心地は市街の病院です。

原爆の破壊力を測定するために、彼らはまだ空襲によって被害を受けていない市街地を選んだのです。

悍ましきことに、日本の政治家までもが「早く戦争を終結させるため、米国は原爆を投下せざるを得なかったのだ…」などと言っていますが、もしそうであれば2つも落とす必要性はないし、使用される兵器が原爆である必要もない。

彼らが原爆を投下した狙いは明白です。

ご承知のとおり、2つの原爆はタイプが異なります。

広島に投下された原爆はウラン型で、長崎に投下されたのはプルトニウム型。

彼らは、原爆の破壊力、そして人体への影響等をそれぞれ別々に測定するために2箇所に落とした。

ドイツ、イタリアは早々に降伏して戦線を離脱していましたが、仮にもし、このとき未だ降伏していなかったとしても、敵国とはいえヨーロッパ国(白人国)であるドイツやイタリアにはおそらく投下しなかったことでしょう。

長崎に落とされたプルトニウム型の原爆実験は、同年7月16日、ニューメキシコ州ソコロの南東、アラモゴードで行われました。(トリニティ実験)

では、広島に落とされたウラン型の原爆実験は、いつどこで行われたでしょうか?

1回も行われていません。

即ち、広島そのものが実験場とされたのです。

昭和大帝は「あの戦争の近因は石油にあり、遠因は人種問題にあった」と、後にお述べになられたと仄聞しています。
2020/08/06

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