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国際条約を誠実に履行する国



1965(昭和40)年の今日(6月22日)、日本国と韓国との間で『日韓基本条約』及び『日韓請求権並びに経済協力協定』ほか関連協定が署名締結され、大東亜戦争後に懸案となっていた両国の友好を妨げる歴史問題の一切が外交的に解決されました。

我が国が韓国を併合して以来、当時の日本の国家予算の約2割にあたる予算を半島に投入し築き上げた莫大なインフラ資産の請求権をも放棄して、我が日本国は未来思考で当該条約を締結したのです。

なお、経済協力協定により日本は、無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款3億ドルの総額8億ドルの資金援助を韓国に提供することになりました。

さて、1910(明治43)年に日本が韓国を併合することになった『韓国併合に関する条約』について、未だに「あの条約は日本が強制したものだから不法である」という意見が韓国内にあるらしいので、改めて歴史を振り返ってみたいと思います。

日露戦争直前、朝鮮半島はまさにロシアに侵略される寸前でした。

もしも朝鮮半島がロシアに侵略され、朝鮮半島にロシアの陸軍や海軍が配備されれば、当然のことながら我が国の安全保障が危機にさらされ、やがて日本もロシア領になっていたことでしょう。

であるからこそ、我が国は朝鮮半島にロシアの侵略を阻止することのできる近代国家の誕生を望み、半島に対し援助を惜しみなく続けてきたわけです。

ロシアが満洲を支配し、次は朝鮮半島を飲み込もうとしていたことで日露関係は急迫しました。

そんなとき、韓国は世界に向けて密かに「局外中立」を発しました。

ついに日露戦争がはじまり、初戦で日本が勝利すると、一変して韓国は親日に転じたことから日本と韓国との間で『日韓議定書』が締結されました。

その後、日露戦争が終わった1905(明治43)年、『(第二次)日韓条約』(韓国保護条約)が締結され、日本は韓国の外交権を預かって韓国を保護国としたわけです。

因みに、ポーツマス条約が締結されたのち、ルーズベルト米大統領は「将来の禍根を残さないように(日本による)保護化あるのみで、それが韓国の安寧と東洋平和のため最良の策だ」と言ったことを付しておきます。

1907(明治40)年、韓国皇帝であった高宗がハーグのバンコク平和会議に密使を送って、日本との保護条約の無効を訴えたようですが失敗し、高宗は退位することになりました。

ここでは保護国から併合に至る過程は省略しますが、日本国内でも併合するか否か二つの意見に割れていました。

ところが、併合に反対であった伊藤博文が韓国のテロリストに暗殺されてしまったことがきっかけともなり、ついに1910(明治43)年に『韓国併合に関する条約』を締結し、日本が韓国を併合することになりました。

これを「植民地化」と呼ぶものもおりますが、「植民地化」を英語にすると「コロナイゼーション」ですが、「併合」を英語にすると「アネクセイション」です。

当時のイギリスの新聞は、日本の韓国併合を「アネクセイション」と報じています。

植民地と併合の違いは何か?

前者は、差別と収奪。

後者は、対等。

当時の日本は、韓国併合について実に慎重でした。

事前に列国に対して「韓国併合」を打診し、その賛同を得てから併合しています。

日本の韓国併合に歓迎する国はあっても反対した国はゼロです。

併合にあたり、日本は韓国の王族に非常な敬意を払って厚遇しています。

例えば、李王族には皇室に準ずる地位を与え、最後の王太子には皇族の梨本宮殿下の長女を嫁がせています。

また我が国は、朝鮮半島に道路や発電所などの公共インフラを建設し、貨幣制度を整え、文盲率が高かった半島の人たちに教育の機会を与えハングル文字を普及しました。

前述のとおり、それに費やした予算は、当時の国家予算の2割です。

むろん当時の日本がそれほど裕福だったわけではありません。

日露戦争に勝利はしたものの、賠償金ももらえず、あまつさえ戦費調達のために膨れ上がった外債の借金を返済しなければならないほどに経済的に困窮していたにもかかわらず、我が国は併合した朝鮮半島のために予算を投じたのです。

「韓国併合は強制されたから無効だ」という人がいますが、そもそも国際条約はいつも対等な立場で結ぶばれるわけではありません。

といって、対等でないから無効というものでもありません。

どんなに不利で不平等でも、いったん結ばれた誠実に履行するのが国際社会のルールです。

幕末の徳川将軍と米国との間で結ばれし条約も、治外法権を許し、関税自主権も無いというまさに我が国の主権を侵す不平等なものでした。

むろん、その他の列強とも同じ条約を結ばされました。

その後、明治維新により政権交代しましたが、明治政府はその不平等条約を誠実に履行しました。

明治日本は、これらの不平等条約を改正するために血のにじむような努力をして、欧米列強と対等に交渉することのできる近代国家の建設を急いだのです。

そして、日清戦争に勝利して「治外法権」を撤廃し、日露戦争に勝利し、その7年後に「関税自主権」を獲得したのです。

なお、欧米列強に引けを取らない近代国家として第一次世界大戦に参戦したことで、ついに国際連盟の常任理事国にまでなったのです。

因みに、日露戦争の戦費調達でつくった借金を返済し終わったのは、1985(昭和60)年のことです。

けっして約束を反故にすることなく、国際条約を誠実に履行してきた我が日本国を、私は日本国民として誇りに思います。
2020/06/22

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