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広義的な意味での「公衆衛生」への投資
IMF(国際通貨基金)は、ことし1月の段階で、2019年は2.9%だった世界経済の成長率が2020年には3.3%にまで伸びると予測していましたが、4月のアップデートで2020年はマイナス3.0%に落ち込むと下方修正しました。
ただ、2021年は5.8%へとV字回復するとしており、さすがにそれは楽観的すぎる予測ではないでしょうか。
なぜなら、コロナ・ショックの余波は数年にわって続くものと思われます。
V字どころか、景気の底がえぐれるU字回復かもしれませんし、そのまま停滞がつづくL字型かもしれません。
さすがに落ち込みっぱなしのI字型とはならないでしょうけど、各国の政策決定者、企業の決断と行動次第では予断は許されず、かなり厳しく見通さざるを得ない局面であろうかと思われます。
因みに、私の微かな期待でもありますが、今回のコロナ・ショックを機に、ひょっとすると脱グローバリズム経済へと一気に加速していく可能性があります。
いや、そうあってほしい。
言うまでもなく、危機に直面したときグローバル経済は国民を守ってくれません。
国民を守ってくるれのは、ナショナリズム経済です。
例えば、新型コロナウイルス問題が深刻化した当初、我が国ではどの店に行ってもマスク一1枚すらなかなか手に入れることができませんでした。
ゆえに「人件費やコストが少しでも安ければ、工場なんて外国でいい…」という投資家目線の考え方も改められていくべきです。
国内生産では採算がとれないのであれば、不採算分については政府が補償すればいい。
グローバル経済では許されないことでも、ナショナリズム経済ではそれが許されます。
例えば、「少し過剰すぎはしないか」などと指摘されているソーシャルディスタンスですが、そうした社会的要請があるのはやむを得ないところです。
そのソーシャルディスタンスにともなって、どうしても経済活動が制約されていく面も否めません。
そのような社会的要請のなかで、今後どのようにして我が国の経済を成長させていくかが重要となります。
経済が成長しなければ国民は食っていけません。
さてそこで、残念ながら、いま国が示しているソーシャルディスタンスは、人と人の距離を〇〇メートル空けるとか、出勤回数を減らすとか、時間帯をずらすとか、繁華街での飲食を自粛するとか、主としてライフスタイルの変更という、政府としてカネのかからない「ソフトウェア面」での対応を促すものです。
そうではなく、ぜひともソーシャルディスタンスを「ハードウェア面」で対応していくことを私は提唱したい。
例えば、飲食店等の店舗においては、店内の換気を強化するように店舗改築(レイアウトの変更、窓の数を増やすなど)するための費用、あるいは換気や殺菌を行う機器やシステムを導入する際の費用、そうしたコストについて政府部門が補助や補償をしていけばいい。
また、前述のマスクもそうですが、防護服や消毒液など、公衆衛生にかかわる資材や機器については、すべて国産化する。
国産化にともなう弊害はすべて政府がリスクテイキングする。
あるいは、医療機関においては、第2波第3波に備えて臨時の隔離病棟を増やすことも必要です。
第1波の際には、新型コロナウイルス感染の疑いがある救急患者が病院に受け入れてもらえないケースが多発しました。
それは多くの医療機関が、感染の疑いのある患者さんをPCR検査の結果がでるまでのあいだ待機させるための病床を確保できなかったからです。
このように、公衆衛生にかかわる経済的需要は実に裾野が広い。
要するに公衆衛生への投資は、人の健康や命を守ることにより経済を成長させることのできるインフラ投資の一つなのです。
さて、例によって「財源はどうすんだぁ?」問題ですが…
むろん、例によって国債発行です。
経済が好景気か不景気かを測る尺度の一つに、民間債務の対GDP比率があります。
我が国経済においては1990年前後のバブル期のがそれが最高でしたが、ご承知の通り現在はデフレで低迷しています。
ただ、バブルの崩壊とともに、デフレに突入して対GDP民間債務比が低迷したのではありません。
下のグラフのとおり、我が国の対GDP民間債務比が低迷しはじめたのは1998年以降で、少しタイムラグがあります。

なぜか?
この間(バブル崩壊〜デフレ突入)、当時の政府がちゃんと財政支出(国債発行)を拡大していたからです。
政府支出(国債発行)の圧縮によって招いたデフレです。
だからこそ、今度は政府支出(国債発行)の拡大によってデフレを脱却しなければなりません。
広義的な意味での公衆衛生を官民共通の投資対象に加えデフレ脱却をはかり、たとえソーシャルディスタンス社会にあっても日本経済を成長軌道に乗せていくべきです。
ただ、2021年は5.8%へとV字回復するとしており、さすがにそれは楽観的すぎる予測ではないでしょうか。
なぜなら、コロナ・ショックの余波は数年にわって続くものと思われます。
V字どころか、景気の底がえぐれるU字回復かもしれませんし、そのまま停滞がつづくL字型かもしれません。
さすがに落ち込みっぱなしのI字型とはならないでしょうけど、各国の政策決定者、企業の決断と行動次第では予断は許されず、かなり厳しく見通さざるを得ない局面であろうかと思われます。
因みに、私の微かな期待でもありますが、今回のコロナ・ショックを機に、ひょっとすると脱グローバリズム経済へと一気に加速していく可能性があります。
いや、そうあってほしい。
言うまでもなく、危機に直面したときグローバル経済は国民を守ってくれません。
国民を守ってくるれのは、ナショナリズム経済です。
例えば、新型コロナウイルス問題が深刻化した当初、我が国ではどの店に行ってもマスク一1枚すらなかなか手に入れることができませんでした。
ゆえに「人件費やコストが少しでも安ければ、工場なんて外国でいい…」という投資家目線の考え方も改められていくべきです。
国内生産では採算がとれないのであれば、不採算分については政府が補償すればいい。
グローバル経済では許されないことでも、ナショナリズム経済ではそれが許されます。
例えば、「少し過剰すぎはしないか」などと指摘されているソーシャルディスタンスですが、そうした社会的要請があるのはやむを得ないところです。
そのソーシャルディスタンスにともなって、どうしても経済活動が制約されていく面も否めません。
そのような社会的要請のなかで、今後どのようにして我が国の経済を成長させていくかが重要となります。
経済が成長しなければ国民は食っていけません。
さてそこで、残念ながら、いま国が示しているソーシャルディスタンスは、人と人の距離を〇〇メートル空けるとか、出勤回数を減らすとか、時間帯をずらすとか、繁華街での飲食を自粛するとか、主としてライフスタイルの変更という、政府としてカネのかからない「ソフトウェア面」での対応を促すものです。
そうではなく、ぜひともソーシャルディスタンスを「ハードウェア面」で対応していくことを私は提唱したい。
例えば、飲食店等の店舗においては、店内の換気を強化するように店舗改築(レイアウトの変更、窓の数を増やすなど)するための費用、あるいは換気や殺菌を行う機器やシステムを導入する際の費用、そうしたコストについて政府部門が補助や補償をしていけばいい。
また、前述のマスクもそうですが、防護服や消毒液など、公衆衛生にかかわる資材や機器については、すべて国産化する。
国産化にともなう弊害はすべて政府がリスクテイキングする。
あるいは、医療機関においては、第2波第3波に備えて臨時の隔離病棟を増やすことも必要です。
第1波の際には、新型コロナウイルス感染の疑いがある救急患者が病院に受け入れてもらえないケースが多発しました。
それは多くの医療機関が、感染の疑いのある患者さんをPCR検査の結果がでるまでのあいだ待機させるための病床を確保できなかったからです。
このように、公衆衛生にかかわる経済的需要は実に裾野が広い。
要するに公衆衛生への投資は、人の健康や命を守ることにより経済を成長させることのできるインフラ投資の一つなのです。
さて、例によって「財源はどうすんだぁ?」問題ですが…
むろん、例によって国債発行です。
経済が好景気か不景気かを測る尺度の一つに、民間債務の対GDP比率があります。
我が国経済においては1990年前後のバブル期のがそれが最高でしたが、ご承知の通り現在はデフレで低迷しています。
ただ、バブルの崩壊とともに、デフレに突入して対GDP民間債務比が低迷したのではありません。
下のグラフのとおり、我が国の対GDP民間債務比が低迷しはじめたのは1998年以降で、少しタイムラグがあります。

なぜか?
この間(バブル崩壊〜デフレ突入)、当時の政府がちゃんと財政支出(国債発行)を拡大していたからです。
政府支出(国債発行)の圧縮によって招いたデフレです。
だからこそ、今度は政府支出(国債発行)の拡大によってデフレを脱却しなければなりません。
広義的な意味での公衆衛生を官民共通の投資対象に加えデフレ脱却をはかり、たとえソーシャルディスタンス社会にあっても日本経済を成長軌道に乗せていくべきです。
2020/06/08 |