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占領憲法記念日

本日、5月3日は、日本国民にとって実に屈辱的な日です。
少なくとも私にとっては。
世間では、ことし令和2(2020)年を「終戦後75年目の年…」と言うのかもしれませんが、私にとっては「あの敗戦から68年目」となります。
いわゆる東京裁判史観派は、昭和20(1945)年8月15日を起点にして「日本は生まれ変わった」みたいに言いますが、日本があの戦争に法的に終止符を打ったのは昭和27(1952)年の4月28日(主権回復の日)です。
昭和20(1945)年8月15日は、「戦争」ではなく、あくまでも陛下の命により「軍事的戦闘」に終止符を打ったに過ぎません。
その後も過酷な「占領政策」という戦争状態は続いていたのです。
これはミヤケ定義ではなく、国際的な定義です。
ゆえに…
2020(年)− 1952(年) = 68(年)
だから令和2年(2020)年は「あの敗戦から68年をむかえた年」なのです。
終戦ではなく、あえて敗戦と言います。
そして5月3日といえば、昭和21年の今日、GHQによっていわゆる「東京裁判」が開廷された日です。
因みに、GHQはその4日前の4月29日に、被告とされた日本の指導者たちを起訴しています。
なぜなら、4月29日が昭和節(昭和天皇の誕生日)だったからです。
彼らの手法はいつもそうです。
マッカーサーの指示により現行憲法の草案がつくられたのが、昭和21(1946)年の2月12日のこと。
その日は、リンカーンの誕生日です。
それを受け、GHQの占領下(subject to)にあった日本政府が草案のまま「現行憲法(案)」を閣議決定したのが10日後の2月22日のことです。
2月22日は、ワシントン(米国初代大統領)の誕生日です。
それと同じように、GHQは我が国の新たな憲法(現行憲法)の施行日を、昭和22(1947)年の5月3日にしたわけです。
さて、こうして制定された日本国憲法(現行憲法)ですが、その前文には「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する」と記されていますが、むろん真っ赤なウソです。
占領下(subject to)にあった日本国には厳しい検閲と言論統制が敷かれていました。
当然のことながら、憲法について自由に発言することなど許されていません。
そもそも国民主権の存しない国が、主権の発動たる憲法を自らの手で制定することなど不可能です。
近代戦時国際法の基本を定めた「ハーグ陸戦法規」には、「戦勝国が敗戦国の主権を無視して恒久的な立法を行ってはならない」と明確に定めています。
憲法(Constitution)には、「体質」という意味があります。
つまり憲法とは、その国の体質たる国体を定める重要な基本法です。
であるからこそ、ハーグ陸戦条規のような規定が盛り込まれたのだと思われます。
GHQは敢然とそれ(国際法規)を無視して、占領国として我が国に違法な憲法を押し付けたのです。
戦後の日本政治の最大の汚点は、このように占領国によって押し付けられた「占領憲法」を、昭和27(1952)年に独立を回復したのちも破棄することもなく、そして国民主権のもとに自主憲法を制定しなかったことです。
国民国家として実に恥ずかしいことに、占領憲法を「憲法」としてきたのです。
5月3日がお誕生日の方々には何の罪もなく誠に申し訳ないのですが、我が国にとって5月3日は実に屈辱的な日になってしまいました。
ゆえに、やがて我が国が占領憲法(現行憲法)を破棄し自主憲法を制定する日も、この5月3日にするべきかと…
2020/05/03 |