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高橋是清・宮沢喜一・麻生太郎

高橋是清、宮沢喜一、麻生太郎(現財務相)の共通点は?
言わでもがな、いずれも総理大臣経験者でありながら、後に財務大臣(大蔵大臣)に就任された方々です。
その歴史的評価は、ずば抜けて高橋是清さんに軍配が上がることに異論のある人はいないでしょう。
昭和初期(1930年1月)、民政党の浜口雄幸内閣の蔵相だった井上準之助は「金の輸出解禁」を断行しました。
「金の輸出解禁」とは、金本位制への復帰を意味します。
金本位制とは、自国通貨を固定レートで金と交換することを約束する制度のことです。
要するに、その国は保有する「金」の量によって通貨発行の制約を受けます。
ゆえに金本位を採用した国は一定量の金準備を必要とし、財政規律を保たなければなりません。
しかしながら、当時の日本は、未だ1927年の金融恐慌の影響が残っており、為替レートも低い水準にありました。
そのために金本位制への復帰は見送られてきたのですが、井上蔵相は金の輸出解禁(金本位制)を断行したのです。
結果、どうなったか?
総需要の不足により賃金と物価が相乗的に縮小していく最悪の経済(これをデフレという)になりました。
加えて、井上蔵相が「金の輸出解禁」を行った直前の1929年10月、いわゆる世界恐慌の端緒となったニューヨーク株式市場の大暴落が起きていました。
バブル崩壊と緊縮財政こそ、デフレの元凶であることは今日の日本をみても明らかです。
にもかかわらず、井上蔵相は「金の輸出解禁」を断行したのです。
輸出解禁によって我が国から大量の「金」が流出し、世界恐慌の影響も相まって昭和恐慌が勃発したのです。
信じがたいことに、それでも井上蔵相は緊縮財政に固執しました。
まるで麻生みたいだ。
その後、金本位制のご本尊たる英国が金本位から離脱したのですが、それでもなお井上蔵相は金本位にこだわり続けました。
やがて1931年の暮、ついに民政党政権が倒れ、犬養毅(政友会)内閣が誕生して緊縮財政路線に終止符が打たれました。
そして高橋是清さんが蔵相に就任されました。
高橋蔵相は、さっそく金の輸出を再び禁止し、いわゆるケインズ主義的な政策である「高橋財政」と呼ばれる積極財政を行いました。
この高橋財政により、我が国は世界に先駆けて昭和恐慌から抜け出すことに成功したわけです。
ケインズがケインズ理論を発表したのは、この後のことです。
実務家というのはすごい。
さて、橋本内閣が緊縮財政に走り日本がデフレに突入してしまったあと、小渕内閣が成立しました。
その小渕内閣で蔵相に就任されたのが宮沢喜一さんでした。
当時、宮沢蔵相は「平成の是清」と呼ばれ期待されました。
宮沢蔵相も実務家だったのでしょうけど、残念ながら高橋是清さんほどではなかった。
たしかに小渕内閣の下で、2年連続で10兆円を超える建設国債を発行したものの、日本をデフレから救い出すことはできませんでした。
高橋是清さんは2年でデフレから脱却させています。
一方、現役蔵相の麻生太郎さん…
今まさに、財務省の言いなりになって緊縮財政を断行し続け、昨年10月には景気後退局面での消費税増税を断行し日本経済を奈落の底に落としつつある点において、恐慌の爪痕が消えないなかで金本位(≒緊縮財政)に復帰した井上準之助に似ています。
「……」
ただただ、令和の是清の出現を望むばかりです。
2020/03/03 |